ヘアスタイリスト、ヴィダル・サスーン氏が死去 84歳


世界的ヘアアーティストのヴィダル・サスーン氏が9日米ロサンゼルスの自宅で死去した。84歳。警察によると他殺や自殺の根拠は見当たらない。自然死とみられるという。警察が到着したときは、既に家族みんなが集まっていたという。米メディアによると、ヴィダル・サスーン氏は白血病で闘病していたというが、正確な死因はまだ調査中だという。

偶然ながら、おととしからサスーン氏の人生を描いたドキュメンタリー映画『ヴィダル・サスーン』も製作されていて、5月26日から公開されるという。
ご冥福をお祈り致します。
公式ホームページ:http://www.uplink.co.jp/sassoon/


<ヴィダル・サスーンのプロフィール>
ヴィダル・サスーン(Vidal Sassoon、1928年1月17日 – 2012年5月9日)は、イギリス生まれのイスラエル人であり、ヘアドレッサー、実業家である。

● 生い立ち
ユダヤ人の両親のもと、ロンドンのHammersmithに生まれた。両親はユダヤ系で、父親はギリシア・テッサロニキ出身、母親はキエフ出身の一族であった。2人兄弟の兄として生まれた。父親は女たらしで、ヴィダルが3歳の時に家を出て行った。母親は貧しさからヴィダルら息子たちを7年間ユダヤ系孤児院に預けた。母親は月に一度息子に面会する事しか許されなかった。第二次世界大戦でウィルトシャーのホールトに疎開するまでキリスト教系の学校に通っていた。14歳で学校を中退し、メッセンジャーの仕事を経て義父の援助を受け理容室へ見習いとして働き始めた。
サスーンは、第二次世界大戦時、17歳だったため若すぎて正規軍に入れず、ユダヤ人退役軍人によってイーストロンドンに組織された抗ファシズムの民兵組織である「43グループ」に加入した。彼は43グループの中で最も若いメンバーだった。1948年、サスーンはイスラエル国防軍に参加、第一次中東戦争で戦った。

● ヘアドレッサーとして
1963年、サスーンは古典的なボブカットを元とする、新たなヘアスタイルを発表した。
1982年、サスーンはエルサレムのヘブライ大学に、反ユダヤ主義研究のためのセンター「ヴィダルサスーン反ユダヤ主義国際研究所(SICSA)」を設立した。2003年、サスーンは大英帝国勲章を受章した。

● 私生活
サスーンは、1967年に結婚、アメリカ合衆国に居住し、養子を含めて4人の子供を持った。1980年代までにアメリカ合衆国に移住した。娘の一人は女優になったが、2002年1月1日、薬物の過量服用によって死亡した。
サスーンは1980年に離婚し、後に再婚した。
2012年5月9日、死去。84歳没。

● ブランド
サスーンは1980年代初頭までにかけて、自分の名前を理容品会社に販売しており、世界的な日用品メーカーであるプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)社ではサスーンの名前を冠したシャンプーやコンディショナーを販売している。
しかしながら2003年、サスーンはアメリカ合衆国連邦裁判所において、P&G社に対する訴訟を起こした。内容は、「P&G社は、同社の他ブランドであるパンテーンなどを優先、ビダルサスーンブランドを蔑ろにして自分の名前を汚している」というものであった。その後、両者は審理の開始を待たずに和解した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2012年5月10日

カテゴリ: ファッション通信

▼ 関連キーワード